2014年10月31日金曜日

時のかさなり

日本に帰ってきて何だかハタハタとしているうちに
なかなか事務所にも行けず、昨日所用で社長にメールをしたところ
その所用の追加メールにて

『ミナ ペルホネンの本が届いています』と

その時ちょうどグルグルと渋谷に居たのですが、何だかとてもお腹が痛かったので今日は帰ろうと思いながらも足が事務所に向いて、本を手に取って

『ミナ ペルホネンの時のかさなり』

社長から3年前にお世話になっていたトレーナーの先生がさっきまでここに居たということを聞いて、
本当3年ぶりかに会う事が出来ました。

先生はこの3年の間海外に行かれていて、お別れの時に先生を浦島太郎とした浦島太郎をとりまく一枚の惜別の絵を描いて送ったのですがそれを大事に持っていて下さって、つい最近、上野の葛飾北斎展に行った時に、北斎先生といったら富嶽三十六景しか私は知らなかったのですが、初期の頃に描いた竜宮城の絵があったんですという話をしながら、どうしてたくさんの御伽話がある中で浦島太郎だけは絵画や物理の分野でも皆がこうも嗜むのでしょうかと何か言ったのですが忘れました。

そんなことやこの2、3年にあった出来事をブラックホールのように聞いて下さって
時を感じて、時を感じなかったです。


著書 ミナ ペルホネンの時のかさなり 皆川 明
                   ©鈴木親


2014年10月2日木曜日

彼女の数学

先日アイルランドに行った。その日地上から雲は空を見せてくれては居なかった。いつも飛行機で窓際に座ったことが無かったけど初めて離陸前から機体が落ち着くまで外を見た。
今の今まで自分が立っていた所から尋常じゃないスピードで走り出して、少し足が離れたと思ったらどんどん離れて、どんどんその土地が小さくなって今まで下からしか見ていなかった雲の世界が近づいてきた。雲と同じ位置に辿り着いた時、周りが一瞬白く見えなくなって凄く揺れて、それを超えるとまた新しい世界が広がっていた。雲の上はこんな世界になっていたんだって思った。新しい世界に辿り着いて、目を見開いて辺りを見回しながら遠くに果てがないことに、来たばかりの美しさを感じて、上を見上げるとまた雲があった。雲の上には雲があった。

少しだけ青春時代の話をしたいと思います。
私は高校で一人の天才に出会った。彼女はバレー部、私はバスケ部、朝練で彼女は壁打ち、私はシューティング、いつも隣で練習をしていた。チャイムと同時に教室に向かい、既に体力を使い切ったからか一限目から七限目まで彼女は起きていることがほとんどなかった。彼女がフルに起きるのは、テストの一週間前くらいになる時だけだった。ある日の数学の時間、隣で物凄い筆圧の音が一時間聞こえ続けた。先生めっちゃ喋ってはるのに書くことないでって思いながら何をやっているのか彼女のノートを覗いてみた。
すると、あの教科書の太い枠で囲まれた数学の公式を自ら導く式をひたすらにノートに解いていた。自分であの偉人達が解いてきた公式を導いていたのだ。今まで自分の中にその発想が無かった。公式って覚えるものだと思っていた。今まで中学という自分の社会があって、初めて高校という社会に移った時に、新しい人達に出会って、発想やら考えにその度度肝を抜かされてきたけど本当に彼女は凄かった。スペシャルだった。やれ問題集、やれ過去問と言っている時にただ純粋にどうして公式を解き続けているのか、どうしてそこに行き着いたのかという16歳の私の疑問に鶏そぼろ弁当を食べながら彼女は答えてくれた。

公式を解くことで、そのプロセスを知れば瞬時に問題作成者の意図が分かるのだと、簡単に言えばそのような感じだとその時そう解釈した。彼女の天才武勇伝はそれだけじゃ無かった。今度は国語の時間。国語の先生はちょっと厳しかったので、いつも授業には少しの緊張が走っていた。しかし一人を除いて。また彼女は寝ていた。案の定当てられて、教科書すら開いていないその感じに、より一層教室に緊張が走り、隣の女子に何ページ?と聞いていた。そのページを開けた2秒後、彼女は鮮やかに答えを言った。
教室の緊張の糸はパックリ開いて、オーーという声と少しの拍手が沸き上がった。
授業を聞いていても分からないような先生の質問にますます彼女の頭の中がどうなっているのか不思議に思った。

そして3年生に上がって部活も引退という時に彼女から相談を受けた。
弁護士になろうと思うねんと。べべべべ弁護士?完全に理系クラスで国語の授業も選択していないクラスだったし、数ⅢCとかも完全にいらんやないかと思った。どうするん?と彼女は先生に相談をしに行った。数ⅢCの授業の時に国語Ⅱの勉強を一人でやってもいいという許可を貰ったようだった。高校生活最後のテスト前に彼女から電話がかかってきた。
数ⅢCの授業中は国語の勉強をしていたから授業を全く聞いていなくて、でも単位としてはテストを受けなければいけないそのことに、それだけで単位を落とさないだろうかと卒業のことを懸念していた。先生も事を知っているし大丈夫だと彼女に言った。
そしてその解答用紙が返ってきた。高校生活最後のテストはやはりスーパーだった。先生がトップの点数だけを言って、そんな高得点採れる人いるんだなと隣の彼女の解答用紙を見たらYouカーイ。何でー。あの電話なんやってん。慰めた自分の解答用紙見たら恥ずかしいわ。どうしてあの難しい数ⅢCを解けたのかと彼女に問うた。二年生までで一通り授業を終えていた事もあって、自分で解いた公式は忘れないんだと言っていた。
そして彼女に最後一問尋ねた。彼女は私に数学を教えてくれた。
それはそれは感激した。初めて数学で感動した。彼女が私に教えてくれた数学はとても美しいと思ったし物凄く彼女の愛を感じた。それが彼女の数学だった。
大数学者の岡潔先生の数学の先にあるのは情緒ですという言葉がこういうことに近いのかなってその時初めてそういうことを思った。彼女が教えてくれたことは本当に大きかった。新しい世界で今まで会った事も無いような凄い人に出会うと、今まで出来るかも知れないと思っていた事、数学国語社会理科体育、色んな可能性を学校は教えてくれてそこから自分の何かを見つけていく、そんなことの繰り返しで、自分はこの分野でのなんとなくの程度を知って、それがまた自分スペシャルを見つけるきっかけにもなったりその分野でクロスパンチを考えたり、たくさんの可能性、方向性がある中で、彼女が人生に与えてくれたことは本当に大きかった。どこに行っても雲の上には雲があるわ。

この長文を書いているうちに小腹がすいてちぎりコーンをチンしました。
ボンっと言ったので電子レンジを見に行ったらレンジの中でコーンが四方八方に散っていました。明日日本にしばし帰るので大家さんにもう一つ懺悔しておこうと思います。冷蔵庫の冷凍室のドアが緩くて気をつけてって言われていたのを気をつけてはいたのですが、ちょっと開いているのを見つけた時があって、直ぐさまに閉めたは良いが次に開けたら冷凍庫が小さな鍾乳洞になっていました。
どうしよう×10くらい思ったが、何を思ってか、私は氷屋さんのように鍾乳洞を削り始めました。でもやはり鍾乳洞かなりのクオリティで即興氷屋の腕じゃ動じなくて、なぜだか分からないけど普段連絡をほとんどとったことがない香港にいる友人にこの鍾乳洞をどうすれば良いか尋ねました。
切れぬなら溶かしてみしょう鍾乳洞
さすが主婦でした。優しくその部位だけを溶かす方法を教えてくれて、あまりよく知らないけど戦国三大武将の一人かと思いました。大家さん本当にI'm sorry.何かあったら電話して。本当にお世話になりました。この上ないくらいお世話になって、よく分からないいきなり日本からやってきた私に、たくさん物事を教えてくれて、この瞬間に大家さんの人生のことを聞かせて貰えたことが本当に素晴らしいと思ったし、人生の交わりに乾杯。とっても嬉しかったです。ありがとうありがとう。いつまでも元気で居てね。
チョコレート、空港で食べます。